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玉音放送を調べて分かった認識不足だった戦争の歴史

2021年8月30日

この記事は約 30 分で読めます。

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今月15日、76回目の終戦の日を迎えた日本、
コロナ下、オリンピックの開催もあり、
例年以上に静かな報道だったのかな?
と思っています。

第二次世界大戦 (太平洋戦争) が
終結したとされる日については諸説あますが、
1945年 (昭和20年) 8月15日
正午からラジオで放送された玉音放送により、
前日に決まったポツダム宣言受諾及び
日本の降伏が国民に公表された日を
終戦記念日と認識しています。

アイキャッチ画像 : 玉音放送 – Wikipedia

高等学校日本史教科書の多くは、終戦の日を9月2日としている。
8月15日は「戦争が終結することをラジオ放送で国民に知らせた日」
と記されているものが多い。

しかし、
玉音ぎょくおんって何だよ!」
から始まった検索は、
わたしの「先の大戦」の認識
大きく覆しました。

枝野氏の代表談話の一部

先の大戦では、国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。

2021年8月15日、
立憲民主党代表 枝野幸男氏は
代表談話にて上記のように
述べました。

私自身も
「先の大戦」とは
そのように認識していました。

玉音ぎょくおん放送とは

「先の大戦」
(太平洋戦争『大東亜戦争』) 終結のために、
昭和20年 (1945年) 8月15日正午、
昭和天皇が全国民に向けて放送されたものを
玉音放送」と言います。

天皇陛下が直接、
全国民に向けて
お声を発せられるというのは、
実に歴史上、
昭和20年8月15日が
初めての出来事だそうです。

そもそも天皇陛下の声を
直接聞くことができるのは、
本当に限られた人しかいませんでした。

そんな天皇のお声のことを敬って
玉音ぎょくおん」と言います。

この放送によって
国民は戦争に敗れたことを知り、
8月15日は「終戦記念日」として
記憶されることになりました。

玉音放送の内容

この時、放送されたのが、
昭和天皇による終戦の詔書しょうしょ
「大東亜戦争終結ノ詔書」
というものでした。

玉音放送 – Wikipedia
詔書しょうしょとは

詔 (しょう/みことのり) は、
天皇の命令、
またはその命令を直接に伝える国家の公文書。
特にこの文書形式のものを詔書しょうしょと称する。
主として、古来より国家・朝廷の大事に際し、
広く一般に天皇の意思を伝達するために発布された。
御言宣みことのり大御言おおみこととも。

終戦の詔書の内容は、
ポツダム宣言 ※ の受諾の発表と
その理由についてでした。

※ 日本への降伏要求の最終宣言

「大東亜戦争」とは、
開戦後の閣議決定において、
すでに戦闘中であった
日中戦争も含めて、
対連合国の戦争の呼称を
「大東亜戦争」とするとされた。
大東亜 (東アジア及び東南アジア) を
欧米列強の進出から守る戦争
という意味で使われていましたので、
戦後占領軍から使用を禁じられ、
「太平洋戦争」というようになりました。
近年、代わる呼称として
「アジア・太平洋戦争」も提唱されました。

終戦の詔書 よくよく読んでみると!

堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ

わたしを含めて多くの人が
どんな内容か深く読んだことが
あるのか疑問ですよね。

そもそも、日本国民の平穏無事を確保し、すべての国々の繁栄の喜びを分かち合うことは、歴代天皇が大切にしてきた教えであり、私が常々心中強く抱き続けているものである。さきにアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。

玉音放送 – Wikipedia

この玉音放送においては、
アメリカ・イギリスの2国に
宣戦したのは、
日本の自立と東アジア諸国の安定とを
心から願ってのことであり、
他国の主権を排除して
領土を侵すようなことは
本意ではない。

→の地図はアジアの
植民地化の地図です。
どこかしらの国の
植民地化しています。
いかに、白人の支配から
アジアの人々を解放するか、

明治天皇や
その考えを引き継いだ
大正天皇がお立てになった
遠大なる構想あり、
昭和天皇も
それをとても大切に思っています。

交戦状態もすでに4年を経過し、我が陸海将兵の勇敢な戦い、我が全官僚たちの懸命な働き、我が1億国民の身を捧げての尽力も、それぞれ最善を尽くしてくれたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転せず、世界の情勢もまた我が国に有利とは言えない。

玉音放送 – Wikipedia

その中で日本がいかに勇敢に戦ったのか、
いかに国民が頑張ってきたのか、
というものに対して陛下から
深く感謝の言葉があります。

敵国は新たに残虐な爆弾(原子爆弾)を使い、むやみに罪のない人々を殺傷し、その悲惨な被害が及ぶ範囲はまったく計り知れないまでに至っている。それなのになお戦争を継続すれば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、さらには人類の文明をも破滅させるに違いない。そのようなことになれば、私はいかなる手段で我が子とも言える国民を守り、歴代天皇の御霊(みたま)にわびることができようか。これこそが私が日本政府に共同宣言を受諾させるに至った理由である。

玉音放送 – Wikipedia

このまま戦争を続ければ、
原子爆弾により、この国はおろか、
世界が滅んでしまう
と述べ、
我が子とも言える国民を守るため、
共同宣言を受けるよう指示した。

私は日本と共に終始東アジア諸国の解放に協力してくれた同盟諸国に対して、遺憾の意を表さざるを得ない。日本国民であって戦場で没し、職責のために亡くなり、戦災で命を失った人々とその遺族に思いをはせれば、我が身が引き裂かれる思いである。さらに、戦傷を負い、戦禍をこうむり、職業や財産を失った人々の生活の再建については、私は深く心を痛めている。考えてみれば、今後日本の受けるであろう苦難は、言うまでもなく並大抵のものではない。あなた方国民の本当の気持ちも私はよく分かっている。しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。

玉音放送 – Wikipedia

以下は、
超有名なフレーズですが、
読み下し: 然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び 以って万世の為に太平を開かんと欲す
現代語: しかし、私は時の巡り合わせに従い、堪え難くまた忍び難い思いをこらえ、永遠に続く未来のために平和な世を切り開こうと思う。
昭和天皇は、国民に向けて
これから訪れる困難を乗り越えて欲しいと
発しているのではなく、
昭和天皇自ら、
「堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び」
未来と平和への道を切り開ていく
強い志を表明している
と気付くはずです。

昭和天皇自身が国民のために平和を追求したいと思う
強い意志を表しているのです。

戦争で命を失った人々と
その遺族の事を思うと
わが身が引き裂かれるほど苦しい。
生活の再建を思うと心が痛いし、
この先の苦難や、
国民の気持ちもよく分るが、
わたしも苦しくて我慢できない
思いをこらえて
永遠に続く平和な未来を
切り開いていこうと思う。

私は、ここにこうして、この国のかたちを維持することができ、忠義で善良なあなた方国民の真心を信頼し、常にあなた方国民と共に過ごすことができる。感情の高ぶりから節度なく争いごとを繰り返したり、あるいは仲間を陥れたりして互いに世情を混乱させ、そのために人としての道を踏み誤り、世界中から信用を失ったりするような事態は、私が最も強く戒めるところである。 まさに国を挙げて一家として団結し、子孫に受け継ぎ、神国日本の不滅を固く信じ、任務は重く道のりは遠いと自覚し、総力を将来の建設のために傾け、踏むべき人の道を外れず、揺るぎない志をしっかりと持って、必ず国のあるべき姿の真価を広く示し、進展する世界の動静には遅れまいとする覚悟を決めなければならない。あなた方国民は、これら私の意をよく理解して行動してほしい。

玉音放送 – Wikipedia

現代語: この国のかたちを維持することができ
読み下し: 国体を護持し得て
国体とは、
日本の国のあり方の事で、
天皇を中心とする日本の国家体制、
天皇がいるという国の状態を
変えないで守ることが出来ている事。

ここにこうして
国のあり方を維持できて、
信頼する国民と共に過ごすことが
できる事に感謝すると述べてた上で、
以下のように締めくくっています。

自分達が信念を持って戦ってきたことを、国をあげて各家庭でも子孫に語り伝えて、神国日本の不滅を信じ、任務は遠く、道は遠いということを思いながら、持てる力の全てを未来への建設に向けて、同義を重んじて志操を堅固に保ち、誓って国体の精髄と美質を発揮し、世界の進む道におくれを取らぬよう心がけなさい。

【玉音放送】日本人の9割が誤解している『終戦の詔勅』の真実 | 神社チャンネル (zinja-omairi.com)

全文を通して昭和天皇が切に願っているのは、
将来の日本、そして国民の平和と発展です。
この戦争での悲しみや苦しみを胸に、
今後訪れるであろう苦難な道のりを
堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ
未来に続く平和な世を確立しようとする
強い意志を「終戦の詔書」に込めているのが
理解できると思います。

※ 掻い摘んでの説明です。
更なる重要な要点もあることを
付け加えさせて頂きます。

ポツダム宣言の内容

上記、玉音放送は、
ポツダム宣言の受諾の発表と
その理由についてでしたが、
ポツダム宣言」って、
聞いたことあるけど、
内容はよく理解していないのが
現状です。

日本が戦争を終わらせるには、
無条件降伏し、
民主的・平和的な国に
なるしかないという内容です。

ポツダム宣言の
日本政府の黙殺もくさつが、
原爆投下のきっかけと
言う事です。

ポツダム宣言の内容
  1. 日本国民をだまして、戦争に引きずりこんだ者の権力 ・勢力を、永久に取り除く事。
  2. 平和・安全・正義の新しい秩序 (社会が乱れないための規律) ができるまで、連合国が占領する事。
  3. 日本の主権がおよぶ範囲 (領土) を、本州・北海道・九州・四国と、
    連合国が決める小島に限定する事。
  4. 軍の武器を完全に取りあげる事。
  5. 戦争犯罪を犯した者を罰し、言論・宗教・思想の自由と基本的人権を尊重する事。
  6. 被害をあたえた国への賠償を行い、軍事産業を禁止する事。
  7. 民主的・平和的な政府ができたら、占領軍は引き上げる事。
  8. 無条件降伏を宣言する事。
  9. この宣言を受け入れない場合は、速くて完全な破滅がある事。

参考: B026113100.pdf (gakken.co.jp)

鈴木貫太郎首相は、
軍の圧力もあって、ポツダム宣言を
黙殺もくさつする (無視してとりあわない)」
と発表しました。

首相 鈴木貫太郎は記者会見で「共同声明はカイロ会談の焼直しと思う、政府としては重大な価値あるものとは認めず「黙殺」し断固戦争完遂に邁進する」(毎日新聞、1945年(昭和20年)7月29日)と述べ、翌日朝日新聞で「政府は黙殺」などと報道された

ポツダム宣言 – Wikipedia

この発言を外国は、
「ポツダム宣言の受け入れを拒んだ」
と受け取りました。
その結果、
広島・長崎への原爆投下という、
速くて完全な破滅」が実行されたのです。

戦争はなぜ起きたのか?

「降伏しろ」と言っているのに
黙殺もくさつする (無視してとりあわない)」
と言うほどに闘わなければ
いけなかった戦争を
何故しなければ
ならなかったのでしょう?

侵略目的ではない

先にアメリカ・イギリスの2国に宣戦したのも、まさに日本の自立と東アジア諸国の安定とを心から願ってのことであり、他国の主権を排除して領土を侵すようなことは、もとより私の本意ではない。

上記、
昭和天皇による終戦の詔書しょうしょにも
書かれている通り、
侵略する戦争ではないようです。

連合国軍最高司令官
ダグラス・マッカーサーも、
日本が戦争に突入した目的は主として安全保障 (security) によるもの
と証言しています。

マッカーサーが、「絹産業以外には、国有の産物はほとんど何も無い」日本が、「安全保障の必要に迫られてのことだった」と証言した意味には、暗に米国の日本に対する厳しい経済封鎖が巻き起こした施策(戦争)であったという含意が看取できる。

ダグラス・マッカーサー – Wikipedia

含意がんい看取かんしゅできるとは、
「そうは言わないけれど、
そういう事だろ?」
の解釈で良いでしょうか?

つまり、アメリカが戦争のために
計画的経済封鎖で(戦争を)
せざる負えない状況に持ち込んだ?

対日戦争を扱ったオレンジ計画

アメリカ合衆国陸軍における
日本やイギリス、ドイツなどの国を
仮想敵国として
検討されたシミュレーションを
カラーコード戦争計画と言い、
日本との戦争を扱ったのが、
オレンジ計画と呼ばれます。

基本的に一国対一国の戦争を想定しており、外交関係や集団安全保障に関して考慮されていなかったのだが、オレンジ計画では初期の頃より『日本が先制攻撃により攻勢に出て、消耗戦を経てアメリカが反攻に移り、海上封鎖されて日本は経済破綻して敗北する』という日米戦争のシナリオを描いてシミレーションされ、実際の太平洋戦争もこれに近い経緯を辿っていく。

オレンジ計画 – Wikipedia

日本と協調関係にあった時期でも、
オレンジ計画は
研究され続けていたとあるので、
計画を実行するつもりだった?
とも考えられます。

人種戦争だった?

日本は第一次世界大戦後、
国際連盟において
人種差別撤廃法案」を
提案しました。

日本が世界で初めて
国際会議において
人種差別撤廃を
明確に主張しました。

この提案に
当時のアメリカ合衆国大統領だった
ウッドロウ・ウィルソン
全員一致で無ければ可決されないと
言って否決しました。

日本の主張を
力づくで潰してしまいました。

巻き込まれた? 日中戦争

日中戦争で検索すると、
満州鉄道、満州事変、満州国、
中国の内戦 のワードが出てきます。

満州事変が起きた当時は、
中華民国内の
政治が混乱期にありました。

この内戦で
人々が混乱する中にあったことも、
満州事変勃発に
拍車をかけたといわれています。

満州事変

満州事変とは、
中国遼寧省瀋陽市北郊柳条湖で、
日本が所有する南満州鉄道の
線路が爆破された事件 (柳条湖事件)
において、日本の関東軍が
爆破したにもかかわらず、
関東軍はこれを中国軍の行為と
主張して軍事行動を起こした。
この事をきっかけに、関東軍が
満州全土を占領した事件。

満州事変をきっかけに
満州国が建国されますが、
中華民国は、
「満州事変は日本の侵略行為であり、
満州国の設立を認めることはできない」と、
国際連盟に訴え、調査の結果、
満州国を認められないと報告。
これに反発した日本は、
1933年3月27日に国際連盟を脱退し、
国際社会で孤立していったのです。

溝の深まる中国と日本、
盧溝橋事件が勃発、
これをきっかけに
日中戦争が始まってしまいます。

盧溝橋ろこうきょう事件

中国では、中国共産党と
国民政府が争っていましたが、
(中国の内戦)
国民政府との戦いに
劣勢になった中国共産党は
国民政府を日本軍と戦わせることで
中国共産党を優勢にしようと
スパイを国民政府に潜り込ませ
盧溝橋近辺の河原で夜間演習中の
日本軍に発砲したという事件。
(中国の内戦に巻き込まれた)

戦争の泥沼化

中華民国へ
アメリカやイギリスといった強国、
そして共産国、ソ連の援助があり、
日中戦争は見通しが
立たない状況になりました。

巻き込まれるかたちで始まった
日中戦争を日本は、
はやく終わらせたかったが、
中国での日本の勢力拡大に対し、
これを警戒した強国は日本を強く批判し
中国政府に援助物資を送って助ける方法で
日本の勢力拡大を食い止めた。
(ある意味嫌がらせ行為)

なぜ日中戦争が長期化しているか
考え、その原因が
「 援助物資を送っているルート 」
にあると思った日本軍は、
それを遮断するために南進政策をとり、
北部仏印(ベトナム北部) まで進み、
そこに留まりました。

このアメリカやイギリスが中華民国に
援助物資を送っているルートを、
援蒋ルート(えんしょうルート)」といいます。

南進政策

日本の軍事的・経済的進出を南方諸地域に向かって行おうとした政策。
ゴム・石油・鉄鉱石・スズなど南方資源の確保のためにとられた。
※ 日本政府は、南部仏印進駐は「平和進駐」であり、
他国に対する軍事的基地として用いるためではないとしている。

日本を封鎖するため?

日本のベトナム北部への進駐は、
非常に紳士的なもので、
二ヶ月に及ぶ辛抱強い外交交渉の末、
その地域を支配していたフランス政府から
許可をもらってのことだったようです。

ところが、この時アメリカは
ただ日本を非難して、
日本を封鎖するための
ABCD包囲網」というものを作りました。

ABCDとは、
アメリカ (America)、イギリス (Britain)、
中国 (China)、オランダ (Dutch)の頭文字です。

ABCD包囲網は、
主に通商航海条約の破棄、
日本の資産凍結、
石油の全面禁輸という形で現れました。

資源に乏しい日本は苦境に陥り、
オランダ領東インド、ブラジル、
アフガニスタンなどの国と交渉を進めますが、
アメリカはこれらの国にも圧力をかけて妨害しました。

この制裁にイギリス、オランダが加わり、
石油輸入の道を断たれた日本は、
まさに日本「氏ね」と言うほど
追い詰められました。

日本は石油をアメリカに依存していた

日本はアメリカより、
石油輸入総量の9割を輸入していました。

時期石油輸入量米国からの輸入量比率
昭和10年 (1935)345万㎘231万㎘67%
昭和12年 (1937)477万㎘353万㎘74%
昭和14年 (1939)494万㎘445万㎘90%
日本の石油輸入量と米国からの輸入量の比率

ちなみに、現在の日本はどこから
輸入しているのかと言うと、
最大の輸入元はサウジアラビアで、
次いで多いのはUAE(アラブ首長国連邦)、
カタールと中東地域に大きく依存しています。
アメリカ合衆国はと言うと、
2019年で2.1%です。
中東依存率は88.9%(2020年)となります。

2021年 6月 原油の輸入先
サウジアラビア
28.5%
アラブ首長国連邦
27.5%
カタール
12.9%

石油が手に入らず追い詰められた日本は、
アメリカとの交渉に臨みます。
日本側は、日米首脳会談を強く申し入れ、
ABCD包囲網を解いてくれるなら、
中国大陸からの撤退も考慮するとの
案を用意していました。
そして中国でのアメリカに対する門戸開放、
機会均等も約束するという
大きな妥協の条件も日本側は用意しました。

しかし、当時の
アメリカ合衆国大統領 ルーズベルトは、
話し合いの場に出てきませんでした。
交渉の要求にも、
示した条件にも返答しなかったのです。
1941年11月26日、
アメリカのハル国務長官
示した交渉文書、
これが「ハル・ノート」です。

日本はこれを最後通告と受け止めた

アメリカ側との交渉は、
日米交渉」と呼ばれるもので、
日米開戦の回避をめざして交渉されました。

調べてみると、
交渉過程は複雑すぎてよく分りません。

簡単に解釈すると、
「交渉が難航している間に、
日本は南部仏印進駐を強行した。
この交渉中の軍事行動に対し
アメリカは硬化し、
交渉はいよいよ
行き詰まってしまった。」
こんな感じのようです。

仏印進駐
  • 北部仏印進駐
    援蒋ルートの遮断。
  • 南部仏印進駐
    資源獲得のため、またさらなる援蔣ルートの遮断。
    日本政府は、南部仏印進駐は「平和進駐」であり、
    他国に対する軍事的基地として用いるためではないとしている。

南部仏印進駐の強行、
アメリカはこれを南方への
侵略準備と見なしました。
南部仏印進駐は
超えてはならない一線
だったようです。

しかし、
日本の真の目的は
日中戦争の解決
であり、
仏印進駐はその為の
資源確保の必要からのものです。

そんな中、
開戦直前にアメリカが
日本に提出してきたのが、
「ハル・ノート」です。
アメリカ側は最終提案ではない
と伝えたようですが、
日本側はこれを最後通告と
受け止めました。

この「ハル・ノート」も、
(わたしには) 非常に複雑なのですが、
前提として四原則をあげ、
日本側が譲歩すべき具体的な点を
4点を挙げたものだったようです。

ハル四原則
  1. あらゆる国家の領土保全と主権を侵害してはならないこと。
  2. 他国の国内問題に関与してはならないこと。
  3. 通商上の機会や待遇で平等を守ること。
  4. 紛争を防止し平和的な解決ができるように、国際協力をすること。

【ハルノートとは】簡単にわかりやすく解説!!背景や内容・日本の対応・その後など

日本側が譲歩すべき点
  1. 上記四原則を無条件でみとめること。
  2. 仏印および中国から全面撤退すること。
    (ここでいう中国に満州国を含むかどうかは明記されていない。)
  3. 日独伊三国同盟は無効とすること。
  4. 重慶国民政府だけを認めること。

これでも、
イマイチ分かりづらいのですが、
「日本がやっていることは全てダメですよ。」
って事らしく、
日本の持っている利権を全て手放せ
言っているようなもので、
到底飲める要求ではなかったのです。
しかも、
要求をすべて呑めばABCD包囲網を解く、
というものではなく、
要求を呑んだらABCD包囲網を
どうするか話し合いに応じるというもの。

要求を呑めば丸裸同然になり、
ABCD包囲網を解かないと言われたら、
日本と言う国は消えてしまいます。
(国家存亡の機)

こんな感じで、
日本は「ハル・ノート」を
アメリカからの
最後通告と受け取って
開戦に進んでいきます。

日本の最初の一発が欲しかった?

なぜアメリカは、
ハル・ノートのような無茶苦茶な
要求をしてきたのでしょう?

アメリカは、
「オレンジ計画」により、
いずれ日本を叩きつぶそう、
屈服させようと思っていました。

しかし、
アメリカが勝手に戦争を始めても、
アメリカ世論がみとめません。

どうしたら世論は
日本との戦争をよしとするだろうか?
そうです、
もし日本が最初の一発を打てば、
アメリカ国民は怒り
戦争やむなしと思うに違いありません。

当時のアメリカ大統領ルーズベルトは
このように考えたようです。

仕組まれた罠か?

ハル・ノートは、
アメリカ議会もアメリカ国民も
全く知らないところで、
ひそかに日本につきつけられました。

冒頭に「厳秘 一時的且拘束力ナシ」(Strictly Confidential, Tentative and Without Commitment)という但し書きがあり、アメリカ政府の議会の承認を得た正式な提案ではなく、ハルの「覚書」という側面がある。

ハル・ノート – Wikipedia
「厳秘 一時的且拘束力ナシ」とは
「厳秘、一時的にして拘束力なし」と
言う事です。

これが日本に出されたことは、
ルーズベルト大統領と
幾人かの側近だけが知っていたこと
だったのです。

真珠湾が攻撃されたとき、
ほとんどのアメリカ国民は
ハル・ノートの存在すら知りませんでした。

アメリカ国民は、
アメリカに対する
日本の横暴な侵略が
突如始まった
としか思わなかったのです。

日本は、
アメリカ大統領によって
合衆国を攻撃するように仕組まれました。

このように、
日米戦争は決して日本が
一方的に始めたもの
ではありませんでした。
むしろ、
アメリカは日本を戦争以外に
選択肢のないところに追いやったのです。

アメリカは
戦争に巻き込まれたのではなく、
戦争を自ら引き起こしたということです。

英国大統領も一枚噛む

ルーズベルト大統領は、
「戦争には参加しないと公言」して
当選したそうですが、
アメリカに参戦させたのは
イギリスのチャーチル首相が噛んで
いたといいます。

太平洋戦争開戦の経緯をイギリスの視点で研究してきたアントニー・ベスト教授は、チャーチルが恐れていたのは日本が交渉条件をのむことで、アメリカが開戦に踏み切らないことだったと言います。ナチス・ドイツと厳しい戦いを強いられていたイギリスにとって、アメリカの参戦は勝利の絶対条件だったのです。

開戦 太平洋戦争 ~日中米英 知られざる攻防~(後編) – NHKスペシャルまとめ記事 – NHKスペシャル – NHK

ドイツとの苦戦を強いられていたイギリスが、
自国を救うにはアメリカを引きずり込むしかない。
そこで、まず日本とアメリカを戦わせると
必然的に日本と同盟関係にある
ドイツとも戦争関係になるであろうと考えた。

ソ連陰謀説

ハル・ノートをめぐっては、
作成過程にソ連の関与が噂され、
事実、ハル・ノートの原案となった
モーゲンソー私案を作成した
ハリー・ホワイト財務次官補は、
ソ連のスパイだったようです。

当時のソ連の諜報活動は
アメリカ政府中枢にも及んでおり、
その中でもホワイトは
最も高い地位にいた人物であった。

しかし、
Wikipedia には以下のように書かれており、

ソ連の工作により、ホワイトがモーゲンソー私案を書いたとまでは断定できない。結論的には、ソ連の工作によって日米戦争が起きたとする「ソ連陰謀説」は確定的では無い。ホワイトが作成したのは原案に過ぎず、ハル・ノートを作成したのはあくまで国務省極東部である。

ハル・ノート – Wikipedia

「 ソ連陰謀説 」は確定的ではないとするも、
原案とは言え、 ハリー・ホワイト財務長官が
ハル・ノートの作成に携わったのは事実で、
ハリー・ホワイト財務長官が
スパイだったのも事実なことで、
日米間に戦争を起こそうとする
共産主義者の謀略があったかもしれません。

根底にあった人種差別

昭和天皇が戦争直後に側近に語った記録
昭和天皇独白録文藝春秋1991年」によると、
「この戦争の遠因はアメリカの移民禁止にあり、
引き金になったのは石油禁輸だ」と
述べられたとの事です。

日米戦争の原因は、
アメリカの人種差別政策が遠因となり、
石油全面禁輸が近因となって起きたと、
昭和天皇は、
その大局をよく見通しておられたのです。

アメリカ人の人種偏見

アメリカ合衆国の人種差別 (アメリカがっしゅうこくのじんしゅさべつ、英:Racism in the United States)は、アメリカ合衆国での主要な課題。新型コロナが猛威を振るうと、中国関係なくアジア人を、差別の対象とし、数々の暴行事件が発生している。アメリカ国の生誕から現在にかけての代表的な文化と言っても過言ではない。

アメリカ合衆国の人種差別 – Wikipedia
イヤイヤ、
文化だからじゃ
済ませられないでしょう(汗

Anti-Japanese sentiment in the United States has existed since the late 19th century, during the Yellow Peril. Anti-Japanese sentiment peaked during the Second World War and again in the 1970s–1980s with the rise of Japan as a major economic power.
米国の反日感情は、19世紀後半の黄禍論の時代から存在していました。反日感情は、第二次世界大戦中と1970年代から1980年代にピークを迎え、主要な経済大国としての日本が台頭しました。

Anti-Japanese sentiment in the United States – Wikipedia

真珠湾攻撃の翌日、
日系アメリカ人がこの横断幕を掲げた。
それにもかかわらず、男は後に拘束された。
この写真は、日系アメリカ人の抑留直前の
1942年3月に Dorothea Langeによって
撮影されました。

飛行家リンドバーグは、
ドイツ人はユダヤ人の扱いで人間性を汚したと主張する我々アメリカ人が、日本人の扱いで同じようなことをしでかしたのである
と書いています。
ドイツ人がユダヤ人に対し、
ひどい人種偏見を
抱いていたのと全く同じように、
アメリカ人は日本人に対し、
ひどい人種偏見を抱いていました。
白人全能の歴史に、
日本はただ一国で立ち向かいました。

アメリカ人 (白人)は、
この生意気な有色人種を
どうしても許せませんでした。
そして彼らは「オレンジ計画」を作成し、
日本の都市をことごとく空襲で焼き払い、
原爆を2発落とすまで収まりませんでした。

日本は自存自衛のために、
アメリカ (白人)相手に戦うことを
辞さなかったのです。

出会った微笑みの写真

この写真の子犬を抱く兵士は
群馬県桐生市の出身だと知りました。

同郷の人生の先輩に
このような方がいた事に、
誇らしくもあり、悲しくもあり、
何とも複雑な心境です。

只々、
敬意を表します。

第72振武隊の少年兵、
第72振武隊の隊長以下10名のうち
7名が10代の少年だった。
前列左から、早川勉 (18歳2ヶ月)、
荒木幸雄 (17歳2ヶ月)、
千田孝正 (18歳6ヶ月)。
後列左から、
高橋要 (18歳7ヶ月)、
高橋峰好 (17歳4ヶ月)。

振武隊は、沖縄戦における
特別攻撃隊 (略称は「特攻隊」)
たる飛行部隊の総称。
必死あるいは決死の任務を行う部隊。

荒木隊員が出撃を前に父に宛てた遺書に
桜咲く九段で会う日を待って居ります
とあり、
「桜咲く九段で会う」ってなに?
桜咲く靖國神社で
会う日を待っています
」の
意味だと知った時、
身体の震えが止まりませんでした。

靖国神社は戦没者を慰霊する神社、
そこで待ってると言う意味はお解りに
なりますよね?

荒木 幸雄(あらき ゆきお、1928年3月10日 – 1945年5月27日)は、群馬県桐生市出身の大日本帝国陸軍軍人、操縦士、陸軍特別攻撃隊第72振武隊員。「子犬を抱いた少年兵」の写真で知られる。

荒木幸雄 – Wikipedia

ちなみに、近年では
人工知能 (AI)の技術で
戦前~戦後のモノクロ写真をカラー化する
プロジェクトがあるようです。
ハフポスト日本版では許可を得て、
写真を紹介しています。

彼らをはじめすべての日本兵は、
日本とアジアの未来を思い、命を捧げた。
その犠牲の上に今日の日本とアジアがあることを、
私たちは忘れてはならない。

忘れてはならない4つの日

上皇陛下 (平成天皇)は以下を
忘れてはならない日」として挙げ、
宮内庁ホームページに
掲載されています。

毎年6月23日沖縄慰霊の日
毎年8月6日広島原爆の日
毎年8月9日長崎原爆の日
毎年8月15日終戦記念日
忘れてはならない4つの日

まとめ

この記事の
「先の大戦」の認識 について
以下のようにまとめました。

この記事における認識

  • 背景には人種差別を根元とする経済制裁や国家間の政治的な陰謀があった。
    ABCD包囲網/オレンジ計画/ハル・ノート/イギリスの思惑/ロシアのスパイ
  • 故に、この戦争は侵略目的ではなく、アジアの安定と国を守るためにやむを得ず行った。
    国家存亡の機/アジアの植民地からの独立
    いかに、白人の支配からアジアの人々を解放するか、
    明治天皇やその考えを引き継いだ大正天皇がお立てになった遠大なる構想あり、
    昭和天皇もそれをとても大切に思っています。
  • (理由、認識は個々にあれど) 戦争によって多くの人の命が犠牲になり、多大なる損害は計り知れない。
    これはまぎれもない事実です。
  • この犠牲の上に今がある(成り立っている)事を忘れてはならない。

この記事における軍・政府の動き

以下、
アコーディオンになっています。
↓ クリックすると開きます。

この記事における軍・政府の動き
  • 昭和 5年
    1930年後半
    ABCD包囲網が行われはじめる
  • 昭和 6年
    1931/09/18
    満州事変勃発
  • 昭和 7年
    1932/01/28
    第一次上海事変勃発 (日中両軍の衝突)
  • 昭和 8年
    1933/02/27
    日本政府国際連盟脱退を通告
  • 昭和 12年
    1937/07/07
    廬溝橋事件、北平 (北京) 郊外の廬溝橋で日中両軍が武力衝突
  • -/08/13
    第二次上海事変 日中全面戦争(支那事変)に発展
  • 昭和 14年
    1939/09/01
    第二次世界大戦勃発
  • 昭和 15年
    1940/09/23
    日本軍、北部仏印進駐
  • -/09/27
    日独伊三国同盟ベルリンで調印
  • 昭和 16年
    1941/04/16
    ハル米国務長官との間で日米交渉が正式に決まる
  • -/07/25
    米政府、在米日本資産を凍結
  • -/07/28
    日本軍、南部仏印進駐
  • -/08/01
    米政府、対日石油輸出を前面禁止
  • -/11/26
    米政府、「ハルノート」を提示
  • -/12/08
    日本時間午前3時19分、第1航空歓待、真珠湾奇襲攻撃を開始
  • 昭和 20年
    1945/07/26
    米・英・中によるポツダム宣言発表 (日本政府黙殺)
  • -/08/15
    正午、玉音放送 が行われる 日本無条件降伏

参照: 太平洋戦争年表 (notnet.jp)

行うべき義務

立憲民主党代表 枝野幸男氏は、
2021年8月15日の談話にて、
私たちは、この反省を痛切に胸に刻み、二度と戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、改めて誓います。
と述べ、
終戦から76年という
長い年月と共に
戦争の体験を語る事の
できる方々が
年々少なくなってきた
とした上で、
しかし、戦争の悲劇が忘れ去られるようなことがあってはなりません。私たちには、戦争の記憶を語り継ぎ、平和の尊さを次世代に伝えていく義務があります。
と述べました。

この言葉は、
「先の戦争」の歴史への
理解や認識が
どのようなもの
であっても
わたしたち国民が
平和の尊さを次世代に
伝えていく事
」は
必ず行う義務なのだと思います。

記事の冒頭と、この項目に、
立憲民主党代表 枝野幸男氏の
代表談話を引用させていただきましたが、
政党支持や批判等とは関係なく、
この記事に置いての必要な参考文献として
引用、掲載したものと付け加えます。

最後に

わたしは学生の時、授業中に居眠りをしていました (笑
大げさですが、わたしはこの国に生を受け、この国の歩んだ戦争の歴史を、
この命が尽きる前に今一度深く学ぶ事が出来て嬉しく思います。

今日こんにちでも差別や戦争は絶えない

今日でも、差別や戦争のニュースは絶えません。

中国から広がった
新型コロナウイルスの流行を受け、
アジア系を差別の対象とし
ヘイトクライム(憎悪犯罪)が多発。
アフガニスタンでは、
反政府武装勢力タリバンが
首都カブールに進攻し、
政府に対する勝利を宣言、
大統領は出国し政権は事実上崩壊など。

いちばん濃い色(栗色・マルーン)の地域は、
今年または昨年に1万人以上が死亡した大規模戦争を指す。
次いで赤、オレンジ、ゴールドの順に

死者の多い戦争・紛争となる。

大きく見れば現在も本当の
平和な世の中ではない。

身近な差別をなくす

差別は身近でも起きている。
人の容姿や身体の一部、能力において、
例えば「一緒に歩かない」、
「無視したり相手にしない」、
「自身の身勝手な優先順位をつける」など。

あなたの個人的価値観で決めるほど、
人の価値は軽く簡単ではない。
我が身を抓って人の痛さを知れ

国内でも、
新型コロナウイルス感染症に関する
偏見や差別、いじめ等は
社会問題です。

差別は大きくなれば戦争につながります。
このような事がある限り真の平和とは言わないと思います。
次の世に平和をつなげるために、
まず、身近な差別をなくす事が大事です。

「先の大戦」でも、根元にあったのは人種差別なのだから。

SDGsに結び付ける

最近よく聞くSDGs(持続可能な開発目標)、
貧困問題や経済、
環境問題など世界が解決しなければならない
課題に対する17個の目標を定めたものです。
そこに結びつけるのも良いと思います。
以下は差別に対する目標です。

ジェンダーとは

ジェンダーとは、「社会的性別」のこと。
身体的な性別に対して、
社会の中で「男性はこうだ」とか
「女性はこうあるべき」
とされている役割や行動、
考え方や見た目などがあること。
そういう意味では、
人種差別も同じと考えられると思います。

持続可能とは、何かをし続けられる、ということです。SDGsは、私たちみんなが、ひとつしかないこの地球で暮らし続けられる「持続可能な世界」を実現するために進むべき道を示した、つまり、ナビのようなものです。
人類はいま、そのナビが示す方向に進めているでしょうか? そして、あなた自身はどうでしょう?

SDGsってなんだろう? | SDGsクラブ | 日本ユニセフ協会(ユニセフ日本委員会) (unicef.or.jp)

貴重なお時間を割き、
最後まで
ご高覧いただきまして
有難うございました

参考 引用 出典

記事に関わる全ての文献に感謝と敬意を表します。
参考、引用、出典に関して参照先のリンクが貼ってあります。
出典物の著作権は、その出典先に帰属いたします。

玉音放送を調べて分かった認識不足だった戦争の歴史